東浩紀「動物化するポストモダン」

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

私が本を読むのは、自分を客観化したいと思うからです。
しかし、ここまでピタリとオタクの生態を暴かれると、ゾッとします。


「超平面性」に関する論考を読み、
私が「シンフォニック=レイン」をプレイした時に感じたある種の違和感が、
「小さな物語」と「大きな非物語」の共存によるものだということを実感しました。


プレイヤーにとって、あの作品における隠しシナリオは、
はじめの3人の女の子の攻略を前提としているにも関わらず、
しかし、その3人の女の子との純愛(?)ストーリーも隠しシナリオも、
パラレルワールドとして平行的に独立しています。


ひとつひとつのストーリーに感動する(?)ということと、
それらを総体として体感するという感覚が混在し、
ギャルゲー初心者の私はとても変な気持ちになったのです。


シンフォニック=レイン」は鬱ゲーと呼ばれるように、
ひとつひとつのストーリーにはとても救いがなく
「これのどこがグッドエンドやねん!」と言いたくなることもありましたが、
最後の最後までプレイすると、それぞれのストーリーが伏線と分かり、
「総体」として体感する満足度は計り知れないものがありました。


この本を読んで、そのメカニズムが少し分かりました。