左翼思想について

眠れないし、isbn/asin記法もマヒってるんで。


僕の両親はバリバリの左翼活動家で…、当然、僕もそういう思想を持つように育てられました。両親が学生時代から入っていた左翼団体の「子ども支部」みたいなところに僕は通わされ、反戦映画を見たり、デモにも何度も足を運びました。しかし、年月を追うごとに、どうも「おかしい」ことに気付くようになります。


僕が決定的な懐疑を抱くのは、数年前のことです。今も話題になっている某米軍基地建設問題に反対するため、僕は共○党の選挙カーに寝泊りしながら、地域住民に基地の危険性を訴えてまわるという…、今考えればとても迷惑なことをしていました。しかしそこで僕は、住民の人々に逆に怒られるという事態に遭遇しました。住民の中には、基地が来ることで手に入る補助金等に期待する人たちが多数いたのです。その地域に住んでいる人々にとって、日々の生活はリアルなものであって…、僕のような学生がどうこう言う問題ではないのだと、その時に気付いたのです。そう、僕はよそ者のくせに、「自分の理想」を無理やり問題の当人たちに押し付けていたのです。


それ以来、僕は左翼思想には見切りをつけました。しかし…、長年親しんだ考え方と言うものは中々変えることができません。僕が左翼思想を捨て切れないというのはそういう意味で使ってるんです。極端な例ですが、信号の色の表す意味がある日突然逆になったら、慣れるのに苦労すると思うんです。


とはいえ、左を捨てたから右だ、なんてことはなく、要は自分の脳みそを使って物事を考えることが大切なのではないかなと思います。うちの両親は「考えるよりまず先に行動を」なんて言いますが…、そりゃただのアホです。


そういえば僕は、他人を評価する時に「思想」と「人格」を分けて考えればいいと気付くのに時間がかかりました。「保守」=「敵」、「革新」=「味方」などと捉えるアホな人物分別法を両親から学んだせいだと思います。僕は現在、「思想」の面では両親とかなり距離を置いていますが、「人格」の面では両親を尊敬しています。


まあとにかくそんなわけで、左翼のサラブレッドとして育てられた僕は、この思想とどうやって訣別するかということにものすごく苦労したわけです。というか今現在も格闘中なんです。