ぱにぽにだっしゅ!とネギま!

  • はじめに

昨日k氏と議論したことを元に、「ぱにぽにだっしゅ!」と「魔法先生ネギま!」の比較をしてみたいと思います。ただし、僕は「ぱにぽにだっしゅ!」に関しては数話しか見ていないので、その点だけご注意願いたいと思います。

  • 似て非なる作品

この2つの作品は、「外国人の天才子ども教師が、日本の学校で先生をする」という点で共通点を持っているが、実はかなり異なる作品であると思う。「ぱにぽにだっしゅ!」においては、とりあえずはじめの3話を見た段階では、まだベッキーが日本の学校教師になる理由が明確ではない。(というか、明確にする意味もあまり無いと思う。)しかし、「ネギま!」においては、ネギが日本の学校教師になるのは「マギステル・マギになるため」という明確な理由がある。(ただし、裏の理由もあるかもしれない。)


さて、ここまででもう、実は僕の言いたいことは言い尽くした感がある。結論から言えば、ぱにぽにだっしゅ!」は「強度」によって支えられた作品であり、ネギま!」は「意味」によって支えられた作品なのである。

  • 「パロディ」と「オマージュ」、「ギャグ」と「伏線」

分かりやすく対比的に書くと、ぱにぽにだっしゅ!」は「他作品の(表層的な)パロディ」を楽しむ作品である。ぱにぽにwikiの「ぱにぽにだっしゅ!」の項目を見てもらえれば分かるのであるが、この作品、ちょっと異常な量のパロディが盛り込まれている。そのかわりと言ってはなんだが、ストーリーや「意味」は極めて希薄であるとも言えるだろう。


先ほどの例で言えば、ベッキーが日本で先生をする理由が明確ではない。いや、明確にする必要すらない。この作品は言うなれば「パロディ」と「ギャグ」から成り立っており、そんなことは知らなくても楽しめるのである。


対してネギま!」は「他作品への(内面的な)オマージュ」を楽しむ作品ではないだろうか。ネギま!」においても、他作品からの影響は数限りなく見受けられるが、「ぱにぽにだっしゅ!」がそれらを露骨にパッチワークしているのとは異なり、赤松健が一度噛み砕いてオリジナルなものにした後、なおかつ設定・ストーリーにリンクさせた上で「ネギま!」作中に登場しているように思う。


こちらも先ほどの例で言えば、ネギが日本で先生をする理由はとても明確である。また我々は、ネギが日本に来なければならなかった理由を他にもいくらでも想像することができる!というのも、ネギま!」は伏線だらけの作品であり、あらゆることに意味を探すことが出来るからである。「ネギま!」は言うなれば、「オマージュ」と「伏線」から成り立っていると言えるだろう。

  • おわりに

僕は、「ぱにぽにだっしゅ!」を見るのが正直しんどい。なぜなら「意味」が極限まで希薄化され、かわりに表層的な「強度」で埋めつくされた作品だからである。僕は、あらゆる事象に因果関係を探そうとしてしまうテキスト中心主義者であり、よって、細かな伏線でガチガチの上、やたらと説教臭い「ネギま!」にはまってしまうのである。また、両者ともいわゆる萌え系の作品なのであるけれども、「ぱにぽにだっしゅ!」の「萌え」はどちらかというと図像に頼った「萌え」であり、「ネギま!」の「萌え」は設定・ストーリーを背負った上での「萌え」であるように思う。


ただ、最初に言ったとおり、僕はまだ「ぱにぽにだっしゅ!」を見始めたばかりなので、「意味」が希薄であるという指摘は実は誤っているのかもしれない。(実は重厚なストーリーが裏にあるとか…。考えにくいけども。)なので、もう少し見てから、作品への判断を下したいと思います。