ぱにぽにだっしゅ!とネギま!?

『ネギま!?』に対する不安
『魔法先生ネギま!』と『ぱにぽにだっしゅ!』と『あずまんが大王』それぞれの違い


トラックバックしていただいたid:moregutsさんの記事ですが、なかなか興味深く読ませていただきました。少しお返事といいますか、僕の意見・感想そして読んで考えたことをここで書いてみようかなと思います。

うーん、やっぱり僕はメソウサに集中する理不尽さは見逃せませんでしたね…。実際、いわゆる「いい話(のような話)」もいくつかありましたけれど、その仲間の輪の中にメソウサは入ってないんですよね。時限爆弾の回でも、結局爆弾は爆発してしまうし。メソウサを排除した回路の中でなら、ある程度「物語」を読み取ることはできるんでしょうけど、「理由抜きに」メソウサに集中する悪意のせいで、僕にはそれはできませんでした。で、エウレカセブンじゃありませんが、この現実世界には「名前の無い悪意」が厳然と存在するんですよね。僕はそれがうんざりなので、悪意のないマンガやアニメの世界が好きなんです。しかし、「ぱにぽにだっしゅ!」の世界では、既存の萌えアニメ的な理想郷の中に、一人(一匹?)理由も無く迫害され続ける(=現実世界の要素満載の)メソウサが混じっていることで、物語の成立が破綻してしまっていると言うのが僕の意見です。

  • 悪意がない、嫌なことの起こらないネギま!の世界

で、ここで「ネギま!」を出すわけですが、「ネギま!」の世界では基本的に嫌なことは起こらないと思うんですよ。(バトルでも死人が出ないし。)「赤松ワールド」なんて言葉があるように、ネギま!はバトルの見どころもさることながら、やはり萌えが一番の見どころだと思うんです。それも、「ぱにぽにだっしゅ!」のようにポストモダン的な表層に頼る「萌え」ではなく、古典的な設定に頼る「萌え」です。で、設定に頼る「萌え」の裏づけとして僕が最重要だと考える点はですね…。「物語に登場する女の子が、他人を貶めるような考えをしない」というところだと思うんです。「ネギま!」に出てくる女の子たちは、みんなそのような悪意を持っていません。しかし、「ぱにぽにだっしゅ!」においては、女の子たちはみんな、メソウサを空気のように扱います。メソウサは「たすけてー」とか「やめてー」って言うんだけど、誰も気付いてくれません。(いや、気付いてるけど無視してる場合も…。)

で、表層で完璧につくりこまれた作品「ぱにぽにだっしゅ!」を作ったスタッフが、古典的手法にのっとった作品「ネギま!」をアニメ化するわけですが。僕は、パロディはそんなに入らないんじゃないかと思います。やはり、夕方枠ですから、子供たちが見ても理解できるように作らなければならないはず。原作の伏線もほとんど考慮されないのではないでしょうか。明日菜がオッドアイでは無いですし。そして、赤松先生の創作のスタンスは「規制を守りつつ、大衆受けする娯楽を作る」というもの。子供と一緒に視聴する保護者の方も楽しみになるような作品になるはず!(ああ、ちなみに僕は15巻限定版を買っていないので、全然新作アニメの映像を見ていませんけども(汗。)