Silent Jealousy

東浩紀宮台真司父として考える (生活人新書)が面白い。
宮台真司は子どもが出来てから、考えに深みが出てきたと思う。


この本の中で、宮台が
「多少勉強ができるより、異性にモテた方が幸せへの近道だ」
という趣旨の発言をしているが、これはその通りだと思う。


自分は学歴だけはそれなりのものを手に入れた。
しかし、結局就職では学歴が関係ない会社に入ったし、
(まあ、こういう不確かなものに頼るのがアホらしくなったというのもあるが)
果たして学生生活が幸せだったかというと、そうではなかったと思う。


勉強はなんだかんだで好きだし、それほど苦痛ではなかったが、
無駄にプライドを高くして、他人とまともに接していなかったように思う。
李徴の「山月記」ではないが、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」にまみれていた。


とくに、女性に対するコミュ力が無かったように思う。
奇跡的に彼女がいた時期もあったが、
基本的にはリア充への妙な怨念・妬み・嫉妬を抱いていたと思う。


今の自分は、プライドなどかけらも無い。
出身大学のランクからすると収入は最低で、結婚できるかも怪しい。
しかし、毎日が充実している。


学生の頃は、「未来のために、今を犠牲にしている」という感覚があった。
その「未来」も不確かなものだった。特に将来の目標があったわけではない。
でも今は違う。毎日、「生きている」という実感があるのだ。楽しい。楽しくて仕方がない。
明日地球が滅ぶとしても、それを笑顔で迎えられるくらいには前向きに生きている。


しかし、最近少し不安に感じることがある。
中学・高校・大学の同期がどんどん結婚していっているのだ。
皆、「現実を見て」、それなりの収入が得られる「普通の仕事」に就いたやつばかりだ。


自分はモラトリアムを延長しているだけなのか。
今度は「未来」を犠牲にして、「現在」を楽しんでいるだけなのか。
そんなことを考える。


結局、「隣の芝が青く見える」だけなのだろうか?
学生時代よりは屈折していないが、それでも、幸せそうな同期たちを羨む気持ちはある。
どうどう巡りで考えて、結局、考えるのを止めるのであった。