近現代史教育について思うこと

今日は終戦記念日
どうしても、先の大戦のことを考えてしまう日である。
左翼思想を幼少時より植えつけられてきた私にとって、
今でも、やはり特別な日だということであろうか。


子どものころよりいわゆる元「慰安婦」に始まり、
様々な戦争体験者の話を聞かされてきた。
沖縄にも何度も行った。ガマに入り、集団自決について聞かされた。


…学生時代に様々な出会いがあり、私は思想転向をするわけであるが、
先の戦争のことを体験者から数多く聞いたことに関しては、
自分的にはよかったと今でも思っている。


というのも、この仕事をしていて日々感じているのが、
中学校教育における近現代史教育の扱いのひどさである。


内容の思想的な偏りというよりは、まず、扱う時間数が非常に少ない。
中学校社会では地理・歴史・公民を学ぶのであるが、
歴史は特に分量が多く、カリキュラムが遅れやすい。
進度の遅い学校は、3年生の夏くらいまで歴史をやっている。
公民が丸々残ってしまうため、時代順で後ろの近現代史が「まき」で授業されることが多い。
こういうことをしていると、「歴史観」など養いようもないだろう。
というか、必要最低限の知識も入らないのではなかろうか。


近現代史の知識が無いと、何がまずいか。
私はまず現実問題として新聞を読むのに苦労すると思う。
たとえば「どういう経緯で、現在日本とアメリカは同盟を結んでいるのか」
という問いを中学3年生にしたとして、
私は半分以上の中学3年生が解答できないのではないかと思う。


日本近現代史がわからないから、政治がわからない。
政治がわからないから、選挙に関心が持てない。
近現代史の扱いの酷さから、悪循環が生まれている気がする。


ちょっと抜本的な解決策を考えてみたが、
江戸時代までの歴史の学習は小学校で終えてしまうのはどうだろう。
そして、中学校では丸一年かけて、近現代史のみ扱うのである。
できれば知識だけでなく、「歴史観」まで養える授業だとなおいい。
時代順もそうだが、国との関係で勉強してはどうか。
「明治以降の日本とドイツの関係」で授業するとか。
アメリカ、中国、朝鮮、イギリスその他の主要国との2国間関係史で半年。
残り半年で通史を学習。これなら、社会に資する歴史教育になるのでは。


まとめると、子どもへの近現代史教育の問題点としては、
「思想的偏向よりも、まずは絶対的な知識伝達量が足りてないんじゃね?」
というのが私の意見である。