寺山修司「ポケットに名言を」

ポケットに名言を (角川文庫)

ポケットに名言を (角川文庫)

あー、装丁変わってるし。
林静一の絵が好きだったのに。


数年前、この本を読んでから、
私の左翼思想からの脱却が始まりました。
(なんか20年前の大学生みたいだな…)


「一杯の茶のためには、世界など滅びていい」
「ちっぽけな快楽ほど人間を小さくするものはない」
その他もろもろの刺激的な言葉に、私は反発をおぼえつつも、
そのどうしようもない魅力に魅せられてしまったのです。


また、寺山修司は、
「世界が変わらなければ、自分が変わるしかないんだ」
というような意味内容の言葉も述べていて、
それは今でも私の行動原理となっています。


いまでも、寺山修司は好きですね。
しかし、卒論に行き詰まって、視界に入ったこの本を読み返し始めて
ふと寺山のことを思い出したのは内緒です。

(どうして人は、切羽詰った時に余計なことをしはじめるのでしょうか?)

深夜アニメ視聴

今日は翠星石の契約の回でした。
もうツンデレっぷりにハァハァですよ。
蒼星石が地味にジュンに抱きかかえられているのも見逃せません。
萌えポイントが大量にありましたね。


しかし雛苺のキャラってかなりすごいですよね。
ウザいのとロリロリの狭間で微妙なバランスを保っているというか。

はあ…。なんだこりゃあ。
なにかと原作の良いところが減ってますね。
ハリーポッターの映画のようなもんで。
やっぱり活字の作品を映像化すると無理が生じますねえ…。


まあ結論としては、
酒飲みながら見る萌えアニメは最高!
ということで…。

メディアミックスについて

私を「灼眼のシャナ」に目覚めさせたのはアニメでした。
「紅世の徒」「封絶」など、専門用語を映像化してくれたおかげで、
とっつきやすくなり、原作を読んでみようという気にさせたからです。


同じことを考えたオタクが大量発生したようで、
アニメ化当初、大半の書店から「灼眼のシャナ」は姿を消しました。


しかし、しかしです。
原作を一度読むと、アニメ版がしょぼく感じられるようになりました。


何せ情報量が違います。
今日のアニメを見ても、
ティリエルがソラトを思う気持ちが全然伝わってこないし、
マージョリー・ドーの復活は急すぎるし、
シュドナイが逃げることの重みはないし、
坂井悠二が天目一個のフリをしないし、
なんだこりゃあというしかない出来。
(唯一の救いは声優がほぼ妥当だというくらいか…?)
(というか生天目仁美さんの声が好きなだけなんですけど。)


私を「灼眼のシャナ」に目覚めさせたのもアニメ。
原作とのあまりの違いに落胆させられたのもアニメ。


メディアミックスの二面性を味わいました。