意味中心主義者

宮台真司は「意味から強度へ」と唱えてましたが(これも古くなってるけどね)、
私はまだまだ意味重視人間です。
あらゆるモノに「意味」を読み取ろうとする悪い癖があります。


「萌えマンガ」「萌えアニメ」を例に取ると、
私はあまり「萌え」という「強度」を重視しません。
やはり「ストーリー」という「意味」を大切にします。


以前私は、萌え:萌え以外=3:7が私の黄金比であると言いました。
「萌え」は、無いと困るけど、やはり私の中では付属物にすぎない。


一例を挙げましょう。
最近、「School Rumble」で、作者が過去の設定を度外視した描写をし、
私のスクラン熱は急激に低下しました。
それほどに、私の中で「ストーリー」=「意味」は重要なものです。


また、私は最近JAZZをほとんど聴かなくなっているのですが、
これは、多くのマンガやアニメに触れることで、
私の「意味中心主義」が強化されたことが一因だと感じています。
(インストには「歌詞」がありませんから。)


逆に、アニソンやアニメサントラばかり聴いているのは、
それらから「意味」を読み取れるからです。


水樹奈々の「innocent starter」は、なのはとフェイトの心情を表してますし、
川田まみの「緋色の空」は、シャナの使命感を見事に表現していますし、
岡崎律子の「For RITZ」なんて、律子さんの「メッセージ」であり、
同時に「シンフォニック=レイン」の登場人物の気持ちが読み取れます。


私は、「意味」から逃れられない時代遅れ人間なのです。