萌え論・補足

k氏となかなか有意義な対話をしたので、メモっておきます。
断わっておきますが、これはあくまで僕の萌え論です。
(では、ここを読む前に、まず拙稿「萌え」論を読んでください。)


<批判1>「男らしい」二次元美少女に萌える場合、「男らしさ」それ自体に萌えるのではなく、か弱い(=女らしい)一面とのギャップに萌えるのではないか?


<僕の答え1>たしかにそれは萌えます。ネギま!エヴァンジェリンナギ・スプリングフィールドに頭なでなでされるシーンなんて悶絶ものです。しかし、そのギャップを前提としてですが、二次元美少女の「男らしい」姿にも僕は萌えます。エヴァンジェリンの「おわるせかい」発動の場面にも僕は悶絶します。




<批判2>リアル女性でも、好みの制服を着て一生懸命働いていたら萌えるのですけど?


<僕の答え2>リアル女性は「お金」のために働いている。メイド喫茶でバイトしているお姉さんは、「ご主人様」のために働いているわけではない。僕は「萌え」に虚構のみが持ちえる「真実性」を要求するので、多少なりとも「打算」が入った時点で萌えない。もし、メイド喫茶で働いているお姉さんがボランティアだったのなら、萌えるだろう。(ありえないけどね)




<批判3>男キャラと女キャラは等価に消費できるのではないか?蒼星石を男だと勘違いしていたけど萌えたのですが?


<僕の答え3>それは性別「受け」と言う捉え方ですね。ここで、ユリイカ2006年1月号の伊藤剛さんの言葉から少し引用します。

…マンガの線による表現は厳密に言うと、人種や性別ということを決して表現できないわけです。必ず(中略)言葉による言明を伴わないといけない。男性/女性ということもリアルに表現しているかと言ったら、究極的にはそうでないわけです。言うなれば男性名詞/女性名詞くらいの、かなり抽象的なものとしてある。最近、「性別受け」という言葉を知ったんですが、それは男の子の受けキャラですごく可愛くて年齢不詳であると。こいつの性別は「受け」としか言いようがない、ということがあるらしいんですが、…(ユリイカ1月号 p158より)


この伊藤剛さんの考えに沿って考えれば、その批判は当たっているでしょう。しかし僕はあくまでも「萌え」はヘテロセクシュアルなものであると考えていて…、もし蒼星石が男キャラだったとしたら、僕の萌え度は激減しているでしょう(ゼロにはならないけど)。


もう一つ例を挙げると、例えば「ハヤテのごとく!」の綾崎ハヤテ君はかわいらしくて萌えますがw、僕の場合どうしても設定に引きずられて、彼を「男性」として見てしまい、それでもむりやり「女キャラ」のように消費しようとするので、萌え度は激減します。しかしもし彼を性別「受け」と捉えることが出来て、彼に萌える人がいれば、その萌え度は強烈なものになるでしょう。


以上、補足終了。
もう一度断わっておきますが、これはあくまで僕の萌え論です。
その上で批判・ご意見・ご感想あればどうぞ。