ひぐらしのなく頃に考

皆殺し編の重大ネタバレ含みます。
未プレイの方、ご注意ください。

  • はじめに

今日は「ひぐらしのなく頃に」について少し書いてみようと思います。
この作品、自らがシミュラークルの集合体であることに極めて自覚的なのに、
解編をプレイしてみると、じつはツリーモデルだったということで、
作品の構造が非常におもしろいなと思いました。


で、私はエロゲをしたことがないので、
エロゲやギャルゲで似たような作品構造のものはあるかもしれませんし、
こんな論考どこかで誰かがとっくにやっているかもしれません。


まあ、そのあたりはご容赦くださいませ。

ひぐらしのなく頃に」は、データベースモデルとしてまず優秀だと思います。各編で相違は多々あるものの、「雛見沢村」という共通の舞台で「惨劇」が起こる。それは各編共通の事柄であり、各編を「良質なシミュラークル」として捉えることができます。その上、皆殺し編をプレイすると、各編以外にも無数にこの村を舞台とする平行世界が存在することが明らかになるわけですが、これは「二次創作作品」すらも「ひぐらしのなく頃に」の原作世界に取り込んでしまえる設定であるわけで、極めて巧妙だと思いました。(「エヴァンゲリオン」の平行世界である「学園エヴァ」の世界は、原作の作中でも顔をのぞかせていましたが、「使徒と戦う」という本筋のストーリーとは無縁でした。その点、ひぐらしは本筋のストーリーに二次創作が関われる余地が十二分にあります。原作と二次創作の垣根は無いんですよ、ということをツリーモデル上でも実践していると言うか。)

  • ツリーモデルとして

また、「ひぐらしのなく頃に」はツリーモデルとしても認識できます。その際に大切になるのが古手梨花の視点です。彼女は、一見して平行世界である様々な世界を、一本道として生きていたのです。しかし、昭和56年の6月だけはどうしても越えられない。彼女は挫折し、何度も続く輪廻転生に精神をすり減らして、次第に物事を斜に構えて見るようになっていきますが、仲間たちもループの事実(つまり各編が独立したシミュラークルではなく、ひとつながりのストーリーだということ)におぼろげながら気付いていくのを見て、もう一度がんばろうと闘志を燃やすわけです。そう、各編は厳密には等価のシミュラークルではなく、きちんと順番通りに並べないと意味をなさないように出来ているのです!また、古手梨花が仲間のおかげで挫折から立ち直ったりと、恥ずかしいくらいストレートな「努力・友情・勝利」というメッセージがこの作品にはこめられており、この点からもツリーモデルとして認識できると思います。

  • 祭囃し編 ――ツリーモデルとしての終幕――

さて、もうすぐ祭囃し編の発売ですね。当然、祭囃し編も「ひぐらし」世界のシミュラークルの一つなわけなのですが、重要なのはツリーモデルとしての終幕が(おそらく)描かれるであろうと言うこと。はたして部活メンバーたちは、「過去」から教訓を学び取り、お互いを信じあい、運命に勝利することができるのでしょうか!?

  • あと余談ですが

数々の平行世界に飽き飽きしている古手梨花を見ていると、これはシミュラークルに「適度な感動」を求めている現代の我々オタクたちの姿なのではないかな、と思ったり。たった一つの「オリジナル」の素晴らしい作品に出会いたいと願いつつも、羽入のように膨大なシミュラークルに「適度な感動」を見出して生きているオタクの方は多いと思います。こういったシミュラークル批判とも取れる作品が、シミュラークルの代名詞とも言える同人作品の世界から飛び出てきていると考えると、これはこれでおもしろいですね。