知識量への志向

今日、会社のとあるパーティーリア充オタと隣同士の席になった。
身分的には私の方が下。歳はたぶん同じ。
ヱヴァケータイの所有者であるという彼。
ここに限定3万台のうち2台が集結したのであった。


まあ、せっかくなのでいろいろと話す。
その方がフィギュアをひたすら集めていることは分かったが、
やっぱり「軽い」と思う。


例を挙げると…

nippe「なのはは1期が断然いいですよ」(身分の関係で敬語)
リア充オタ「いやwwあれ作画悪いから見てねえwwwフィギュアは持ってるけどwww」
nippe「でも、新房さんが監督してますよ。化物語の。見てみてください。」
リア充オタ「まじで!知らんかった。いや、でも作画悪いし見ないwww」


…という感じである。(別に作画は悪くないと思うが…)


話していくうちに思ったが、
リア充オタは「知識量が多いことにリスペクトがない」。
これが一番の特徴のように感じた。
逆に作品設定等に詳しすぎると「なんでそんなに詳しいの?」と訝しがってくる。
(まあ、そこは社会人なので、空気を読んで小出しにしましたが。)


…私自身もライト(軽い)なオタであるが、
「知識量は多ければ多いほどいい」と思っている。
私は身近に無駄知識の宝庫のような人間が結構いる。
特に、このブログでつながってきた人は皆「濃い」と思ったし、その知識量を尊敬している。
「作品に詳しい」「特定のキャラに異常なほどの熱意を上げている」というのは、
私の中ではすべて「プラス評価」であり、「善」である。


これは、いわゆる「第一世代」「第二世代」「第三世代」は関係ないと思う。
「オタク第三世代」でも、キャラ萌えが突き進んでいる人なら僕は「すげえ」と思う。


結局、大きくオタクは「知識量への志向」があるかないかで大きく分かれるのではなかろうか。
「世代論」で分けるのがスタンダードなようだが、私はそんな気がした。


このブログで知り合った人とは、そこが共通しているんだと思う。
好きな作品もバラバラだし、おまけに私は別に「濃く」ないし、
それでもネット上/オフ会で日々楽しく会話できるのは、
私の知り合う人が「知識量が多い=善」という価値観を共有しているからだと思う。


しかし、歳は同じで、出世のスピードが違うのもまた、
その彼が「リア充オタ」であるからなんだろうとも思う。
「仕事が一番大事。所詮はアニメ、流行をチェックしてとりあえず流れに乗っておく。」
なかなか私はそういう考えになれなかったりするのだ。


ただ私も歳を取ってきたので「うわー、こいつ上辺だけじゃねーか」とはさすがに思わなくなった。
むしろ「10マソするヱヴァケータイに金をつぎ込んだ同志」だと思えた。
自分自身が大人になった…というか歳を取ったことを感じた出来事であった。