説明不足な「なのは」
「魔法少女リリカルなのは」を見て思うのは、
やはり最近のアニメは説明不足であるなあ、ということ。
いや、説明不足というより、「オタクの常識」に頼っている、
という方が適切かもしれない。
たとえば、このアニメの1期ではとつぜん「時空管理局」という、
さまざまな次元世界の秩序を維持する機関の存在が明らかになるのだが、
その組織の全貌や、他の次元世界についてはわからないままである。
私は、ほとんどアニメを見ない人が「なのは」を見たら、
この設定に戸惑うと思う。
しかし、オタクならば、「ふーん」と簡単にうなずいて終わりだ。
(ちなみに私は「ドラえもん」のタイムパトロールが頭に浮かんだ。)
また、「オーラを体にまとって空を飛ぶ」という描写や、
あるいは「戦艦に強力な砲撃武器がついている」ということも、
なんの断わりもなく作品の中に出てくる。
「そういえばドラゴンボールでみたなあ」
「そういえば波動砲とかメガ粒子砲とかあったなあ」
という、意識的および無意識的な「オタクの常識」を当てにして、
作中での説明はほとんどなされない。
それはなぜなのか。
それは、設定のオリジナリティを、
もはや生み出せない時代になってきているからだと私は考えている。
いみじくも「魔法少女リリカルなのは」は、
キャッチコピーが「魔法少女、はじめました。」というものであり、
自らの作品が「魔法少女ものである」ということに自覚的である。
オリジナルを生み出すことはもはや難しい。
また、「なのは」のように、
たった1クールで作品を完結させねばならないという事態がある。
そのような中では、既存の作品に見られた場面・設定説明などは、
どんどん省略されていくのである。
(現に「なのは」は、魔法少女ものであるにもかかわらず、
変身シーンがほとんど省略されている。)
かわりに何で埋めあわせをするのかというと、そう、「萌え」である。
私はオタク業界に「萌え」が台頭してきた理由として、
「作品のオリジナリティの欠落」が一因としてあるのではないかと考えている。